ZERO HORA創刊号 2024年6月1日発売
■「ZERO HORA」創刊号
責任編集 芹澤真幸
編 集 ZERO HORA編集部
発行人 松村康貴
発 行 くるんば
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目 次 【巻頭】[0時から]「蜂起」について/芹澤 真幸……………………4 【エッセイ】男性の「性」を語るための言葉/ なぜ私たちは〈ジャニー喜多川氏の性加害事件〉の告発を聞きとれなかったのか/喜久井 伸哉……………………12 【エッセイ】介護=HIPHOP論/抉れた肩/鞆 隼人……………………18 【評 論】疎遠社会試論 第1回/「生まれ変わったら、道になりたい」/松村 康貴……………………30 【エッセイ】子育てと介護/小林 敏志……………………56 【小 説】第1回/私が〈在る〉とはどのようなことか/前田 卓弥……………………68 【旅行記】第1回/レコードディーラーによる 裏・ブラジル見聞記/尾﨑 健一……………………82 【論 文】妖怪と場所/堀田 穣……………………90 【評 論】「死者たち」第1回/「ゾンビ」概論(前編)/芹澤 真幸……………………100 (次号は2024年12月刊行予定) 執筆者紹介 ・喜久井 伸哉(きくい しんや) 1987年東京都生まれ。詩人・フリーライター。「不登校」や「ひきこもり」の体験を活かし、当事者手記を発信している。喜久井ヤシン名義での共著に『今こそ語ろう、それぞれのひきこもり』(日本評論社)、単著に『詩集 僕はまなざしで自分を研いだ』(私家版)がある。 鞆 隼人(とも はやと) 1987年生まれ、大阪府東大阪市出身。介護予防を中心とした専門学校へ入学するも、特養への実習体験により、介護そのものに興味を持つ。卒業後は地元の特別養護老人ホームへ入職。以来施設介護一筋。現在はユニットリーダー兼フロアリーダーとして現場をまとめる役割を担う。また施設内での新人研修、法定研修、実技講習などを行っている。 松村 康貴(まつむら やすたか) 1970年東京都生まれ。くるんば代表。書店勤務、遺跡発掘調査などのフリーター生活、出版社勤務を経て、二〇〇二年に雲母書房に入社し営業、編集に携わる。二〇一九年にくるんばを立ち上げ、介護セミナーの企画・運営、介護紙芝居の出版及び普及活動を行っている。 小林 敏志(こばやし さとし) 1983年生まれ、長野県栄村出身。合同会社はいこんちょ代表。栃木県鹿沼市でデイサービスと小規模有料老人ホームを運営。令和六年度高校家庭科教科書に介助技術で掲載。本人を主役にしたその人らしい生活を最期まで送れるように介護したりされたり。好きな場所はキッチンとトイレと浴室。 前田 卓弥(まえだ たくや) 1985年長野県松本市生まれ。立教大学大学院修了。社会デザイン学修士。大学院在学中に哲学・思想の深みを味わう。若年性認知症の母を気にかけながら、介護事業所で働き、組織開発を実践中。熱狂的な松本山雅サポーター。 尾﨑 健一(おざき けんいち) 1969年東京都世田谷区生まれ。東京神保町に中古レコード店ラバーガード・レコードをオープンして今年ではや十六年。ブラジルへのレコード買付け歴も気がつけば二〇年超。まだ見ぬノルデスチ(ブラジル北東部地方)への非買付け旅行熱望。 堀田 穣(ほった ゆたか) 1952年愛知県名古屋市生まれ。神戸大学文学部哲学科哲学専攻卒。国立民族学博物館から始まり、図書館に二〇年ほど勤めたのち、大学教員になる。ちょうど学長面接が阪神大震災当日だった。大学も揺れる中で歴史民俗学専攻を立ち上げ、『妖怪文化論B』を担当した。その後定年退職し、京都先端科学大学名誉教授。 芹澤 真幸(せりざわ まさき) 1978年東京都生まれ。高校中退。出版社を短期で退職後、半ば引きこもりつつも自分なりの思索の基盤を求め哲学・思想関連の古典的著作を読み漁って現在に至る。
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【 0時からの言葉 芹澤真幸(編集委員) 】
0時というのは特別な時間ーー否、瞬間だ。それはかつて20世紀を代表する偉大な音楽家の一人アストル・ピアソラが語ったように、昨日と今日の、あるいは今日と明日の境界に開かれた時間である。
したがってそれは一つの隙間ーー閾である。ただし、時計の針の通過点に無造作に引かれた0時という境界は、その瞬く間もない一瞬のうちに無限の広がりを孕んでいる。
つまり0時というのは、私たちの生活の外部にある、いわば非実在的な時間なのである。生きるための日々の瑣事から解放され、氾濫する情報の激流と合理性の苛烈な要求から隠れ、静かに自らとの関係のうちに没入することの許される時間。それは観念のためでもなく、身体のためでもない、手のための時間だ。あるいはまた、事実性の手前で立ち止まり、内省のうちに試み、書き綴るための時間でもある。つまりそこで行われるのは一つの表現であり、制作である。ーーなるほどそれは明らかに創造的活動ではあるものの、本質的には孤立と孤独のうちになされる一種の自慰行為であらざるをえないだろう。もっとも絶えず自己について語ることを強いられ、他者を欠いたままただ欲望することしかできなくなってしまった近代以降の文明人(私たちのことだ)にとっては、それこそが唯一相応しいあり方であるのかもしれないが。
いささかロマンティックな願望だということを認めた上で、私たちは、自らの思索の座がそうした非実在的な時間のうちにこそあらねばならぬと考える。あるいは、その意志に古代の哲学者エピクロスの断片に記された「隠れて、生きろ」という言葉を重ねてみることもできるかもしれない。そう、ロマンティックついでに信じるならば、きっとそれもまた蜂起の一つのあり方なのだ、反復されるーーすなわち絶えず新たに創始されるーー蜂起の中の。去りし日と来たる日の境界に密やかに引きこもり、そこから眺めえた何事かについて語ることは、それだけで名も無き私たちにも可能なささやかな抵抗と連帯の姿なのである。
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【 いつかどこかの岸辺へ 松村康貴(編集委員) 】
「いつかはどこかの岸辺に流れつくという信念の下に投げ込まれる投壜通信」
パウル・ツェランが詩について語った文章である。この信念を、SNSの時代にあえて手間と費用をかけてまで、印刷物に挑もうとする私たちの拠り所にしたい。
〈書く〉ためには未だ出遭わぬ他者が必要である。〈読む〉ためには未来から訪れる他者を待たねばならない。しかしながらSNSは本質的に他者がいない。書くと同時に出会っており、読むと同時に繋がっている。書き終わらぬうちに視られることが確約されており、視覚で捕捉した瞬間に読み終えたかのような満足感をもたらす。もちろんSNSは、分刻みに生き、時間を貨幣として扱う現代人にとって、このうえなく便利なツールである。端末を使い忙しなく応答処理を繰り返すだけで、快楽と安堵をもたらしてくれる。
しかしながら私たちが求める幸福はそこにはない。言うなれば、そこからはけっして生じることのない幸福を、私たちは求めている。それは喩えるなら靴職人(書き手)の喜びであり、履き心地の良い靴を手に入れた者(読み手)の喜びだと言ってもいい。そう、他者と出遭うためには、孤独に降りていかなければならないのだ。他者に出遭うことを、独りでじっと待ちつづける時の庭が必要なのである。この断絶、幽閉、始まりである終わり、終わりである始まり、それは〈書く〉ことを、〈読む〉ことを、呼吸することにほかならない。
こうした煩わしさを帯びた雑誌活動に対して、むしろやりがいとおもしろさを感じ、ともに歩むことに賛同する書き手と読み手を求めたい。現実に傷つきつつ現実を求めつつ、みずからの存在とともに言葉にむかって行く、書き手、読み手、を。
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寄稿要件
四〇〇字詰原稿用紙五〇枚程度まで。完成原稿。批評、論考、エッセイ、紀行、小説、詩など。
原稿の初めに住所・氏名(ペンネーム使用の人は必ず本名をそえて)・電話番号・メールアドレスを明記してください。採否につきましては、後日ご連絡いたします。原稿はお返ししません。
■送り先:ZERO HORA編集部 〒665-0841兵庫県宝塚市御殿山3-2-10 FAX 0797-62-6874 Email zero-hora@kurumba-m.com